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私の座右の銘『一隅を照らす』

3か月前のこと、私はNPO法人が主催するボランティア講座(ボランティア大人塾)での講演依頼のお話をいただきました。
大変恐縮しながらも、これも『公益』につながる縁と思い、『一隅を照らす』をテーマとして、去る7月16日のこと、講演させていただきました。今、思えば、あまりにも身の丈をこえるテーマだったと感じておりますが・・・

比叡山延暦寺

さて、この『一隅を照らす』ですが、今から約1200年前に、天台宗の総本山、比叡山延暦寺を開山した伝教大師、最澄が『山家学生式』のなかで説いた一文です。

『国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名けて国宝と為す。故に古人の言く、径寸十枚、是れ国宝に非ず、一隅を照らす、此れ則ち国宝なりと。・・・』

簡単に要約すれば、いかに財を築いて成功したとしても、それをもって国の宝というのではなく、どんな立場であっても、何処にいても、世のため、人のために善を尽く人こそが、国の宝であること。そして、一人一人が自らの周りを照らしていけば、自ずと社会全体が明るくなるという教えです。

実は、この『一隅を照らす』を初めて耳にしたのは、今から14年前、地方自治で大変ご尽力された御方から送られてきた一冊の著書の表題でした。

時は、バブル経済の崩壊、そして阪神淡路大震災が発生した後で、先の全く見えない混沌とした時代でした。ちょうどその頃、私は地域のまちづくりに関わり、まだ子どもも幼少とあって、明るい未来と明るい社会を切に願っていました。それ以来、常にこころの片隅に、そして活動のベースとして、座右の銘にさせていただきました。

『一隅を照らそう』の石碑

私は、他人より不器用な人間であること、能力の無さも認識しつつも、何か、小さなことはできるかと考えております。また、日々の生活の中で、思いやりと利他の気持ちをもって、一歩でも前に出れば、いつの日か、『一隅を照らす』道に近づけるかと思っております。

私は、天台宗をはじめとする宗教学(ちなみに我が家は曹洞宗)の専門家でもなければ、当然、覚りを開いたわけではありません。しかし、今の時代こそ活きる『1,200年前の教え』を大切にしたいと考えております。